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橋本努の音楽エッセイ 第3回「マルチチュードは心して聴くべし」

雑誌Actio 20099月号、23

 


 小生の北海道暮らしも10年を超え、地方のゆっくりした時間にも慣れてきた。歳のせいかもしれないが、最近はクラシックをよく聴くようになった。それでも新しい刺激を求めて、小生はあいかわらず渋谷を訪れている。渋谷のタワーレコードに足しげく通っては、最新の音楽シーンをチェックすべく、2時間くらいかけて、さまざまなCDを視聴しているのである。

 レコード店でCDが視聴可能になったのは、およそ15年くらい前であろう。それ以前はCDを聴かずに買って、損をすることが少なくなかった。半分くらいは「なんだかなぁ」という気分にさせられたものである。ところが視聴できるとなると、マイナーな音楽にも断然、興味が湧いてくる。ネットでも視聴できるようになり、よい音楽に出会いたいという小生の関心は、泥沼に嵌まるがごとく膨大な時間を費やしはじめた。

 だが世界中を探しても、タワーレコードの東京渋谷店ほど、最新の音楽シーンを集めたショップはないかもしれない。ニューヨークにもいろいろなCDショップがあったが、世界中からよい音楽を集めるというコレクターの才にかけては、日本人ほど長けている者はいない。その恩恵を得るべく、小生はいまも渋谷で音楽クルーズしている。

 視聴に失敗することもある。数年前に菊地成孔のアルバムを視聴して大いに感動したのだが、自宅で聴いてみるとこれがひどいのだ。一流の詐欺師にしてやられたと感じて、そのCDを捨ててしまった。もう二度と騙されないぞ、と心に誓ったのだけれども、菊地成孔はその後、どんどん進化していくではないか。『南米のエリザベス・テイラー』もいいし、『ダブ・セスクテット』もいい。そして昨年、『記憶喪失学』というアルバムが出たとき、これは絶品だと思い、小生は思い切って買ってしまった。なによりもジャケットの油絵が南米のゴーギャンのような作品で美しく、演奏水準もきわめて高く意気込みがある。南米の優雅で気だるい、だがどこか近未来的なことが始まっているという、前衛芸術の逸品なのであった。

 このリズム・セクションとメロディの絶妙なバランスは、近代の高速な時間経験において失われた故郷の時間を、取り戻すようで私たちを異次元に連れていく。故郷はすでに喪失したのであり、近代へのアンチとは、あらゆる逸脱の力学が躍動する空間となる。そんな菊地の芸術にすっかり魅了された小生は、タワーレコードのパンフで彼が推薦していたCDにも触手を伸ばしてみた。その一つに、マイルス・デイビス作品の黒幕プロデューサー、テオ・マセロの作品選『テオ・フォー・トゥー』Vol. 1-2.がある。

 マセロを最初に視聴したときは、あまりにも凄すぎて買うことに躊躇を覚えたほどだが、というのも全2枚でマセロの音楽人生をハイライトすると、これが圧巻で、私たちの存在を脅すほどの美的魔力に充ちているのだ。マルチチュード必携、心して聴くべきアングラ怪物芸術の世界であろう。

 とりわけ第一巻の一曲目と三曲目は、「ザ・ニュー・ミレニアム」と題するシリーズの3集『ダーク・スター』からの選曲で、痛烈無比のサウンド構成。異様な迫力に圧倒されること間違いなしである。1925年生まれのテオが、70代になっても革命的な人生を送ったというのは、人類の創造力に希望を与える事件ではないだろうか。